”茜色の魔法”と境界線の認識論ーボカロPハヤブサの1stアルバムがやばい!
【パッケージ名】 茜色の魔法
【アーティスト名】 ハヤブサ
【発売年】2016年
収録曲
1.茜色の魔法
2.がらくたの僕に
3.名もなき星屑
4.星屑オーケストラ(Remaster)
5.常闇の夜に
6.ナナイロハナ
7.それでも僕らは
8.サヨナラザクラ(Remaster)
9.ムゲンノツバサ(Remaster)
10.等身大の未来
アルバム評価
【音楽】
ジャンル メロコアを混ぜた青春系ギターロック
メロディーのキャッチ―さ ★★★★☆
アレンジの変態性 ★★★☆☆
技巧性 ★★★★☆
系統としてはsupercell的青春セツナアレンジ×メロコアギター×WANDS的90年代メロディーといえばわかりやすいか?
【歌詞】
わかりやすさ ★★★★☆
含蓄 ★★★★☆
【その他】
アートワーク ★★★★☆
総合評価 89点
クリエイター紹介
ハヤブサというボカロPまたはFalconectという同人サークルを知っているだろうか?
彼は2014年12月31日にキミスペクトルでボカロPとしてデビュー
その後メロコア系ギターロックを青春系ポップスに昇華して知名度を急上昇させており、そして最新作の星屑オーケストラでは10万再生の大台を突破した新進気鋭のボカロPである。
そして先立つ4月24日に音楽同人即売会M3で10曲入りの初アルバムを発売したわけだがこれがとんでもないクオリティなのである。これ時代が時代ならsupercellとかkemuみたいな売れ方してたぞ。
・・・なんでプロデュース論を勉強してた学生がこんなレビュー出してるんだよ、と思った人は正しい。プロデュースやる前にとあるコンペで知り合って(あの時は彼もボカロPでなかったかもしれない)それ以降ことある度に家で作曲談義に花を咲かせていた仲である。いつものようにM3でCDを買ったわけだが度肝を抜かされたのでTwitterに書ききれなくなり感動の勢いをそのまんまタイピングしている。気が向いたら彼のプロデュースの在り方についても書いてみたいとは思っているが・・・
まずアートワーク、これがまたすんばらしい。イラストはデビューの時から一貫して桜木蓮さんという人が担当している。彼女(?)は目元を中心にビビットカラー書く事が多いが今回はそれを封印している点が推せる。それとwebとか映像担当のまつらい君。彼とも前述のコンペの際に知り合っているわけだが彼の存在感はfalconectだけでなくボカロ映像界隈でも大きいものだと感じる。
アルバム全体のコンセプトがずいぶんと練られているのが今回感動した大きな理由であるが、一言でいえば人生においての様々な境界線の在り方。そんな壮大な物の一部を感じ取った。
このアルバムは多分であるが殿堂入りした星屑オーケストラを中心に据えつつも今までの楽曲を詰め込み新しい解釈に挑んだものなんだろうと思う。この中に最初期の作品であろうココロノトモシビが入っていない事を考えると確信犯的である。
収録曲それぞれのレビュー
表題曲の”茜色の魔法”は乱暴かつ簡単にいえば結婚してしてまう元カノへの未練の歌。未練を断ち切ったように見えてラストでAメロを繰り返して「やっと言えるよ「ひとつになろう」と 今、僕は幸せです」と来た時、実は略奪愛の歌だと気が付いた。(もしかしたらこれは空想なのかもしれない)
「君を連れ去る魔法が解けて消えちまえばいいのに」の一言に言いたいの半分が詰まってる。Bメロの世界観の膨らませ方とそれに対応したアレンジの妙が映える。
”がらくたの僕に”はハヤブサ流のodds&endsなのかもしれない。繋がっているといいつつも決定的な壁を認識している点、どこか死の匂いを漂わせている点が他の”ボカロ今までありがとう曲”と一線を画している。これは二次元と三次元の境界の濃さをそれぞれの視点で表現しようとしたこころみなのか?
”名もない星屑”はインスト曲で星屑オーケストラのサビをピアノソロにアレンジしたもので次の曲およびアルバムの核に向け一気に涙腺を揺さぶる配置になっている。
”星屑オーケストラ”はやっぱりハヤブサの”らしさ”を全て詰め込んだマイルストーン的曲になるであろうと想像する。全体に流れる夏の終わりを彷彿とさせる爽やかかつ切ないアレンジ、ここに来て前述の死の匂いは一層濃厚な物となってくる。
この曲の作曲背景も知っている上で語ると、この曲にある爽やかな曲と重たすぎる歌詞のギャップをこうも逆手に取ってきたかと脱帽せざるを得ない。変態的転調の多さ、仕掛けたっぷりな変拍子、濃厚コテコテに練られたアレンジに底力を感じる。
”常闇の夜に”はもともとインスト楽曲で、これをリアレンジしたものだ。WANDSみたいな90年代風バラードのオリジナルに歌がはいるとこれまた90年代臭が臭くて堪らない。歌詞はやっぱり死の匂いが濃厚。しかしながらどちらかというと死の悲しみからの復帰といった方がよいのではなかろうか。
「常闇の夜に明日が見えなくても信じて待ってる おかえりって君に言う日を」というサビと、終ぞそれが叶わなくなってそれでも明日を非情さと意志の強さに泣ける一曲。
”ナナイロハナ”はPCゲームの主題歌らしく作詞が丸山美紀vsとむ少佐なる人物が担当している。「なななな♪ナナイロハナ~」からはじまる中毒性はさておき歌詞が90年代PCゲーム。音楽構造というと随所にハヤブサ流のもがきを感じる。サビ前の強引な転調サビ7小節目のフック的転調が気持ちいい。
”それでも僕らは”はポリリズムを活かした宇宙的なインスト曲。あ、こんど付点8分ディレイとかポリリズム使ったら全部宇宙的って書きます。民族調シンセメロとギターの荒々しさの対比が気持ちいい。
なんというかSFゲームの草原と戦闘シーンといえばサルでもわかるのではないか。ただ欲をいうなら毛色の違うナナイロハナと順番を交代したほうがいいと思った。
”サヨナラザクラ”は一言でいえば町を出ていくきみとの別れの歌。以前1stシングルに入っていたもののリマスターだ。しかしながらアルバムを通して聞くとここでの別れが意味するものもより深刻なものに置き換わる。ラストサビの爆発力は一見の価値あり。
ムゲンノツバサはヴォーカルをGUMIに変更しただけでなく以前のバージョンより音像の奥行きを施したミックスをしている気がする。耳が痛くなるような高圧縮マキシマイズが多い中この曲は比較的聴きやすい。
ラストサビが四つ打ちになる伝統はここからか。歌詞はラス前にふさわしくとことん前向きで個人的には鳥人間コンテスト的。アルバムの中ではナナイロハナと同様異質な存在ではあるが、昔の(本来の?)ハヤブサが帰ってきたといえようか。
”等身大の未来”はドラムのグルーヴの良さが光る00年代的ファスト三拍子バラード。等身大の未来とはいいつつも夢を捨ててやぶれかぶれな意味の等身大なので、アルバムに登場する魔法や奇跡といった他力本願な空想からの卒業を意味している。他の曲と違い無機質な情景描写で急に現実に引き戻される。
「それは魔法みたいな奇跡じゃなく平凡な僕らが紡ぐ未来」という歌詞で、私は重苦しくも空想的な世界観から気持ちよく現実世界に戻ってくる事が出来る、いわば卑屈な自己否定に見せかけた空想の否定を行っていることがミソである。アルバムの世界観の否定を最後の最後に持ち出すこのセンスには脱帽した。
全体を通して
茜色の魔法は間違いなく名作だ。個々の曲も素晴らしいがすべてを通して聞いたときのテーマ性の高さに非常に驚く。特に茜色の魔法という言葉の意味の深さは全てを聞かなければ理解が出来ないだろう。表題曲ではただの舞台装置としての朝焼けの茜色であるが、それは導入の為のフックでしかなくアルバム全体で現れる茜色というのは昼と夜の境界線、つまりは絶対に交われない境界線を表す色なのだ。時には状態の境界をまた或る時は次元の壁を、そしてある時には生死の壁すら超えようとする。
それはまさしく魔法のようなものである。しかしながらそれは空想の上でしかなく、超えようともがくたびに境界線の認識は色濃くなっていく・・・このようなパラドックス的要素を一つの空想として処理する力、そして最後の最後でこの魔法と空想を否定する事でこのアルバムは完結する点が近年のアルバムにはないメッセージ性の強さを示している。
知り合い(戦友?)のアルバムを買ったつもりが今年一番の傑作に出会った気がするので同人音楽アルバムはなめてかからないようにしようと決意しました・・・
読み返して思うのは、感情の赴くままここが感動したって書こうと思ったのに癖で論文みたいな口調になってしまった・・・こんな長文クソレビューを読んでくれてありがとう。今度の書評は短く済ませるよ