青年よ、少女と共に荒野に繰り出せ-駆け出し音楽プロデューサーと学ぶプロデュース学-

以前はお前のような優秀なプレイヤーだったが膝に矢を受けてしまってな

青年よ、荒野に繰り出せ

自己紹介

初めまして、私はしがない若手プロデューサーのうちの一人です。今現在は大学生をやりながらアイドルの楽曲プロデュースをしたり小規模な劇伴を作って東奔西走の日々を送っています。プロデュースといっても世の中にはサインをするだけでプロデュースと言ったり、全部やったのに手柄を全部横取りされたりと様々なプロデュースの定義があります。このブログでは、私が体験したプロデュースの試行錯誤を広く世の中に伝えるべく世の中のプロデュースと言えるもの全てを取り扱いたいと考えています。でも、根はただの音楽狂いなので音楽、特に電子音楽、アイドル、ポップスの楽曲制作に関するプロデュースで一杯になっちゃうんだろう。

 

プロデュースってのはなにもアイドルとか音楽に限った話ではなくていかなる状況でも使える技術だと思うんだ。というのも例えば就活。君は自分自身を限られた面接時間の中で売り込まなくてはならない。それも面接官のタイプに合わせてプリズムのように七変化を狙うのだ。これを実践している人間は社会に一度出て営業職のトップを経験した人間かプロデュースのプの字を知ってるやつしかいないだろう。あとは営業職もそうだ。みなまで言わないが売り込むものが自分自身から商品に変わった分就活よりも幾分か難しいと思う。だから音楽に興味のないそこの君ももしかしたら優良な知識がwられるかもしれないから少し他の記事にも目を通してもらえると嬉しい。

 

長々とした前置き前置きはこれくらいにして、このブログを開設した意図と目的について簡潔に、そのあと簡単な経歴の説明をして今回の記事を閉じさせてもらうとしよう。初めて読んでくださったかたはこの後の文は三文ゴシップのように読み飛ばしていただいても構わない。

このブログの意図と目的

このブログを開設する前に私はTwitterで日常と音楽とプロデュースについてつらつらと書いていた(@326_e 三篠ミシノレという名義で今も生きているぞ!)わけだがどうにもタイムラインの濁流に流されてしまって読み返すことが難しい。ちょっとした講釈を垂れても150字のリミットには収まらない、かといって連続ツイートは頭の湧いた人に見えてしまう。まぁもともと頭が湧いているから後者の問題はどうでもいいけど、何か見やすい形にしていつかプロデュースに目覚めた子の10分の暇つぶし講義になってくれれば幸いだと思ってこのブログを開設する事にした。このブログの目的は・・・あ、もう言ってあるからいいか。ようは成功したものについてはここをこう見ると役立つぞ、失敗したについては同じ轍を踏むなと警鐘をならしつつ、この曲あの曲が何故成功したのか分析しようぜ!と広義にわたるプロデュースを語る。

かんたんな経歴

三篠ミシノレの年齢は20代に毛が生えたくらいなのだが経歴だけ見ると正直カオスと言える。けして真似してほしくないし真似しようとすると痛い目を見るぞ。

 

ガキンチョ時代。音楽とは無縁の家族で教養かなにかの一環で兄がピアノをやっていた。音楽にただならぬ関心があったらしく兄のピアノの演奏会には奏者でもないのにちょくちょく顔を出す程度。だが当時右手の親指の関節が満足に動かなかったためピアノ教室には通えなかった。学校では行動派ネクラ。常に音楽準備室の片隅でリコーダーの速吹きを練習する。

中学時代。都内私立中学校に通う。兄貴がヘビメタにはまるのをよそに吹奏楽部に入部。当時音楽を放課後に出来る部活はここにしかなかったねん…そこで顧問の先生が作曲家という事実を聞く。興味本位でmidi作曲をしていたら沼にはまり気が付いたら芸大作曲科を目指していた。無謀である。

高校一年。全日本吹奏楽コンクールに応募するも楽譜のフォーマットが違って見事に落選、同時期某軽音アニメが爆発的ブーム。例にもれずギークな仲間とバンドを組むもライブの観客は親と知り合いの5人だったため即解散、しかし軽音のほうが理論が簡単だし当時のボカロブームに合わせてDTMを始める。

高校二年。DTMの機材が我が家のパソコンでは動かなくなる。買い替えるまで休み。

高校三年。受験生として勉強に明け暮れるが、プロデューサーの出身校を見てると早稲田大学二文って有名人の塊ではないかと勘違い。プロデュース学科でもあるのかと思い入学式に現実を思い知る。

大学一年。宅録少年だった私にバンドサークルは容赦がない。世の手取り足取り教えると豪語してたお手軽系バンドサークルがちやほやするのは女子だけで男子には当然のごとく厳しかった。作曲研究会の門戸を叩こうとしたら隣の会議室で新入生勧誘をしていた下北系ネクラ音楽サークルに半ば強引に拉致。そこで出会った下北系らしからぬメンバーと楽曲制作グループgimmiclampを結成。もちろんライブは一切想定していなかった為に新入生お披露目ライブで酷評of酷評。そのままサークルから全員でフェードアウトしセルフプロデュースの世界へと邁進する。

大学二年。気が付くとビッグバンドの世界にいた。何を言ってるか分からないと思うが自分でもわからない。練習は週6、放課後自転車で片道1時間練習5時間の生活を送っていたが意外にもポップスの理論が使える事を知りjazzにはまる。また気が付いたら全国大会の舞台に立っていた。何言っているかわからない。同時期某文化祭のテーマソングというものの選考に進む。こいつは最近プロへの登竜門とか巷じゃ言われているらしく、ふたを開けてみたら年上のお兄さんばかりでこんな若造がいたところで浮いてたんじゃなかろうか。色々あったがプロデュース業が軌道に乗り始める。

大学三年。プロデュース業が更に幅を広げてジャズっぽい劇伴からテクノハウス、アイドルまでなんというか菅野よう子的になってきた。同時期やっと作曲研究会に入部。ふたを開けてみれば界隈の大物がみんな仲良くお茶を飲みながら音楽議論をするという何ともサロン的空間であった。アイドルに曲を提供し始めてだんだんとこの業界のレッドオーシャン具合と生存戦略を思い知る。結局行きついた先は大学生がアイドル活動略してアイカ(ryをやるサークル、ユニドルという界隈に至る。

 

ここまで読んだ君はよっぽどの暇人かな??

次回からはきちんと音楽とプロデュースについて語るぞ。